📺 わかめ ぷらす
School Hub / わかめ ぷらす● Active

鎌倉殿の13人の国は、なぜ北条の色に寄っていったのか【1199〜1333 守護の地図】

日本史マップ【極】29,188回視聴投稿日: 2026/11/03
東京の足立区、埼玉の東松山、茨城の筑西。この3つは、800年あまり前に「鎌倉殿の13人」と呼ばれた男たちの本拠でした。 1199年、源頼朝が急に亡くなり、18歳の頼家に代わって、13人の話し合いで訴えを裁く仕組みができます。それから130年あまりで、13人の家が受け持った国の守護は、北条の色に大きく寄っていきます。梶原・比企・和田・三浦・安達はどう消え、北条はなぜ空いた国を一門で埋められたのか。そして1333年に北条も滅んだあと、13人の家で続いた家はあったのか。65の国の守護の記録を立体の地図に塗り分け、肖像と絵でたどります。最後の章では、冒頭の問い「戦で滅ばずに続いた5つの家は、どんな家だったか」の答え合わせをします。 ■目次 0:00 はじめに 0:25 今日の問題と、地図の見方 1:30 第1章 13の席|13人の合議制 1199 5:40 第2章 最初の1人|梶原景時 1199〜1200 8:07 第3章 将軍の外戚|比企能員の変 1203 10:53 第4章 父の退場|畠山重忠と牧氏事件 1205 13:47 第5章 鎌倉の市街戦|和田合戦 1213 16:33 第6章 上皇との戦い|承久の乱 1221 19:10 第7章 法華堂の自害|宝治合戦 1247 21:59 第8章 家来に討たれた外戚|霜月騒動 1285 24:12 第9章 北条の色の最後|東勝寺と後北条 1333〜 29:23 第10章 13人の家の、そのあと|答え合わせ 34:20 締め 13人の国が北条の色に寄っていった理由 ■この動画の見方 ・地図の色は、その国の守護を務めた家です(北条の一門は1つの色)。灰色は、記録や辞典で守護の名が確かめられない国です。 ・画面右上の札は、当時の記録・学術の辞典・研究者の見方・通説・後の時代の伝承を分けています。 ・肖像の伝わらない人物と、本物の絵が無い場面は、想像図(生成AIで作成)です。画面にも札をつけています。年齢は数え年、月日は当時の暦です。 あなたの地元にも、13人の家の名字や、ゆかりの地名は残っていますか。よければコメントで教えてください。次に解説してほしい家も、お待ちしています。 日本史マップ【極】は、本物の絵巻・肖像・史料と、色が塗り変わる立体の地図で、日本の家と戦のゆくえをたどるチャンネルです。隔日の17時に新しい回を公開しています。 ■出典 ・史料 『吾妻鏡』『尊卑分脈』『太平記』ほか/研究 佐藤進一『増訂 鎌倉幕府守護制度の研究』・日本大百科全書・世界大百科事典ほかの辞典 ・地図 国土地理院の地理院タイル・CODH『歴史的行政区域データセットβ版』(CC BY 4.0)を加工 ・写真・絵のクレジットは動画内に表示しています #鎌倉殿の13人 #鎌倉時代 #日本史

コメント 読み込み中…

コメントを読み込んでいます…